不妊について思うこと 私のこと

自分の存在意義

 

おはぎです。

昨日、望まない結末になるかもしれない未来について書きましたが、しばし考えてしまいました。

43才の私、今後の治療の行く末について、妊娠し妊娠継続し、出産に至るまでが2%の確率、という統計データがあります。

あくまでも確率なので、2%に当たった方は、お子さんに恵まれるし、98%の方は子供に恵まれない。

恵まれるか恵まれないかの答えには、グレーゾーンは存在しないので、2択しかないのですよね。

となると、今後の私は自分の子供を授かる可能性は限りなく低いです。

 

過去記事|43才で不妊治療をすれば2%の方は出産へ

 

子供を授かれずに不妊治療が終了するのであれば、と想像してみると。

子育てを何十年もしている方に比べると、私はとんでもなく膨大な時間を浪費しているなあ、なんて思ってしまいました。

現在短時間パートをしていますが、週に20時間位です。

1週間、168時間あるうちのたったの20時間です。

お子さんがいらっしゃる方は、お子さんに時間を制約されることも沢山あるでしょう。

2人、3人とお子さんがいらっしゃる方は、順番にお子さんの対応に追われることでしょう。

フルタイムで仕事をしながら子育てされている方は、時間が足らないくらいなのでしょう。

私はと言えば、夫婦二人分の家事をして、膨大な時間を浪費しているだけ。

暇な時間を持て余しているわけではありませんが、時間に追われるような生活でもありません。

なんだか、自分の存在意義について考えてしまいます。

 

 

不妊治療を終えた後の身の振りようについては、ずっと前から頭の片隅では考えつつ、結論が出ないでいました。

ちゃんと、大事なことはおしまいにしないと、気持ちは次に進めないみたいです。

中途半端な状態では、子供がいなくたって大丈夫といった、明るい未来を見ることができないからです。

終わりが差し迫る今も、具体的な未来はまだ想像できません。

これまでは、お母さんになって、子育てを楽しみながら、子供と旦那の笑顔を見て過ごす。

子育てが終わった後も、自分や夫婦の時間を彩り豊かにする、ということが人生の目標でした。

ただ、こうなってしまった今、子供がいないからこそ、何かできることあるのでは?とずっと思い続けています。

子育てする時間を自分に費やして、ノーベル賞を目指すとか、大富豪になるとかの目標は掲げていませんが。

それでも何か見つけたい、見つけないとと思いつつ過ごしています。

まだぼんやりとすら描けていませんけど。

すべては全部が終わった後に考えればいいことですかね?

本当は、お母さんになるという希望だけでも叶えばいいんですけど、このままでは結局何者にもなれません。

すべては私が生きてきた軌跡なので、仕方ないですかね。

今はその後の人生について、惰性で空っぽのままで生きていくのではなく、もっと実りの多い人生にしなければ、なんて、プランが思いつかないのに、気持ちだけが先回りしてしまいます。

 

過去記事|不妊治療を終えたら想像した話はこちら

 

にほんブログ村 家族ブログ 子供なし夫婦(夫婦二人)へ

ランキングに参加中。ポチっとしていただけると嬉しいです。

 

-不妊について思うこと, 私のこと
-,