不妊について思うこと 私のこと

子供を諦めようと考える時が来ると思わなかった

おはぎです。

不妊治療を始めた35才の時は夢いっぱいで、少し頑張れば子供持てるかな?なんて思っていました。

3年くらいあれば、私お母さんになれるかな?

難しくても30代で授かれればいいな、なんて。

まさかそこから7年以上も治療が続くとは思っていなかったです。

だって、35才ならば子供を持つことに悲観的になるような年齢じゃないと思っちゃいますよね。

またその頃は、漠然と40才を過ぎたら自然に諦めがつく時がくると思ってたんです。

これだけやったらもう治療するの嫌になっちゃったとか、もう年だから子供はいいかなとか、自然と熱意が冷める日が来るのだと思ってました。

それが私の場合、ほぼノンストップで採卵、移植を繰り返して、ここへきてもなお子供を諦められない未来が待っているとは...。
 

 
35才の次の誕生日が43才であれば、自分の年にびっくりしちゃって、よし、もう高齢だから仕方ない、諦めよう、と思えるのかもしれませんが、

35才の次の誕生日は36才なので、1つ年が増えただけでは急激に老いた、とも思えない。

フィジカルコントロールさえできていれば、自分の老いを認めることが難しい年代です。

ジワジワ1つずつ年を取っていった結果、35才で始めた不妊治療が43才まで続いているという現実。

かつて、40才を超えた時に35才の時と同じか、もしくはもっと強い熱意で不妊治療に向き合っていたことに気づき、

ああもういい加減どこかで区切りをつけなきゃいけないな、と、43才を迎えたら不妊治療はもう終わりにしようと思いました。
 

不妊治療を42才までと決めた話はこちらから

 
今ある凍結胚を残り3個移植して、いい方向に運ばないとしても、後ろ髪をひかれても、もうそれで終わりです。

不妊治療をするにはだいぶ高齢になり、治療の成績もずっと悪く、とっくに諦めが必要な状態だったのかもしれません。

それでも自分の子供を持ちたいという熱意は冷めたことがありませんでした。

私の体の時間軸では、子供を持ちたいと思う年齢が遅すぎたんでしょうね。

今は「子供を持ちたい」という気持ちを、必死にジャブジャブ洗濯している状態です。

天気のいい日にバリっと乾かしたら、綺麗にアイロンして、後は丁寧に折り畳みたいと思います。

畳み終わるまで、どれくらいの時間がかかるかわかりませんが、こういうことは大事なことなので、時々ダークサイドに落ちながらでも、最後はしゃんとなるよう、ゆっくり丁寧に扱いたいと思います。

あきらめたくないことをあきらめなければいけない、そういう未来がくるかもしれないなんて思いませんでした。

けれども時というものは残酷で、日々刻々と44才の私に近づいています。

万が一不妊治療がうまくいかなかったとしても、44才の私は、今より笑顔の多い毎日でいたい。

子供を持ちたいと思う熱意を、何かほかのことに注げていられたらいいなあ、なんて漠然と思います。
 

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