おはぎです。
先週、赤ちゃんとのお別れも終わったので、胎嚢写真をそろそろ仕舞いたいと思います。
生まれなかった胎嚢写真、ずっと見てても仕方ないと思ってはいたのですが、昨日旦那に言われてしまいました。
負の感情に引っ張られ過ぎるなよ?
ハッとしました。
確かに、終わったことを嘆くこと、少しだけ悦に入ってしまったりして、それはそれで負の感情に身を任せて、少しだけ心地の良いことだったりすることもあります。
自分が辛いと思って悲劇のヒロインに仕立て上げてしまうと、そのステージは心地いいものになってしまったりするんですよね。
けれど、悦に入りすぎて悲劇の沼にはまりすぎるのも良くないと思います。
だからと言って、旦那にこんなこと言われるの、少しばかり早くはないですか?
まだまだ私の心は流産のステージにいるんですけど。
もう泣いたりしないけれど、心の中、傷だらけですけど。
それでも、もう赤ちゃんダメだろうなという時期に覚悟ができて、そこから2週間経っています。
赤ちゃんたちの胎嚢写真は、丁寧に保管します。
しかし、保管するそのファイル、かつて移植した胚や、前回流産した胎嚢写真しかファイリングしていなくて、まるで胎嚢と胚の屍ファイルにもなっていたりします。
ちゃんと時系列でファイリングしないとぐちゃぐちゃになります、笑
悪趣味なコレクションみたいになっちゃってますが、ここに保管することにします。
エコー写真は劣化して見えなくなるという話もありますが、そうなったらその方がいいのかもなんて思ったりもしていて。
エコー写真は証だと思っているので、ちゃんと保管したいと思いますが、写真は写真でしかありません。
もう、今は旦那と融合した何かは、私のお腹にはいません。
何かできたことはあったのではないのか?
これからできること何かないのか?
そんな感じでぐるぐる頭を巡らせています。
精一杯頑張った結果なので、後悔すべきこともないのに、やっぱり自分を責めてしまうんですよね
良くないですね。
ランキングに参加中。ポチっとしていただけると嬉しいです。