おはぎです。
昨日は移植周期で通院してきました。
卵胞もいい感じに育っていて、内膜も順調に育ってきたので、明後日LHサージを図り、SEET法へ進めそうです。
来週はまず第一段階で、凍結していた培養液を移植、その後、凍結胚盤胞を移植という流れになります。
最後の凍結胚移植かあ、という気持ちがなくはないのですが、今は早くお迎えしたい気持ちが強いです。
それでうまくいってくれたらいいのですが、そうでなくても、不妊治療のその先に進むのも悪くないかもしれないとも思っています。
というのも、実は、昨日の昼間、申込していた物件の審査が通過したと連絡が来ました。
よかった。審査通った。
約2か月半、家を探し続けて、やっと理想的な家に引っ越しできる運びとなりました。
近隣への引越しではあるのですが、まだまだ未開拓で知らない場所がいっぱいあります。
区をまたぎ、新しい土地へ移動して、新しい生活を始める。
移植がうまくいかなくとも、引っ越しして人生をリスタートする。
また、引っ越し以外にも、不妊治療を止めることで、私にとって少しだけ利点はあるのです。
不妊治療を終えることのメリット
出口のない迷路からの脱出
不妊治療中は、出口のない迷路を歩いているようです。
進めど進めど突き当り、引き返しても、出口からは遠ざかるばかり。
時には落とし穴に落ちたりもして。
うまくいかない焦燥感のようなものをずっと抱いていました。
もちろん、子供を持ちたいという気持ちからチャレンジし続けましたが、常に自分自身の人生を生きていないような気持ちでいます。
それが、「お母さんになる準備段階」であれば仕方ないことですが、そうなれないかもしれないのにという、拭い去れない空虚感のようなものは、どうしても付きまといます。
そういったものを手放して軽くなる、というのも悪くないのでは?なんて、少しだけ思うこの頃です。
不妊治療のわずらわしさからの解放
パートタイムではありますが、仕事の調整をしたり、早退をしたり、こそこそと動いていることの後ろめたさがあります。
不妊治療を1番に優先させて、旅行の計画も、家族や友人との約束も、すべて治療スケジュール次第です。
申し訳ないという気持ち、自責の念に苛まれたりすることも。
不妊治療を辞めさえすれば、そういったことをすべて手放せることになります。
それがいいことなのか?とも思いますが、どちらに運ぶことになっても、不妊治療からは離れることになるので、これらの思いを手放すことになり、身軽にはなります。
ライフプランが立てられる
子供がいないまま進んでいくかもしれない私の人生、恵まれる可能性をわずかに信じて、未確定のままここまで来ました。
このまま子無しが確定してしまうことは悲しいことですが、確定することで、計画が立てられるとも言えます。
40歳を過ぎた私のこれからの大きなライフプランは、もう沢山は残っていませんが。
・老いるまでの人生をいかように生きるか
・壮年期の終わり頃、どんな家を買うか
・老後の暮らし方
これくらいは、大きな決断が必要なこと、残されています。
どれもまあまあ、楽しみといえば楽しみだし、考えたくないといえば、考えたくないかな。
40才も過ぎてしまえば、これくらいは概算でも考えておく必要があったものの、先延ばしとしてきてしまいました。
子供に恵まれるかそうでないのかで、大きく変わることだと思っていたので、ネガティブにならないよう考えないようにしてきたことでした。
こういうことがこの年になっても未だ真っ白という状態も、不安定になる要素でもあります。
それが、不妊治療を辞めることで、おおまかにでも描けるというのは、少し安心することでもあります。
移植へ進めそうなこと、希望の物件への引越しが決まったことと、1日に2つもいいことがあったから、
調子が良くて、ネガティブな要素をプラスに考えられる、という気もしなくはないです。
でも、いいことがあるときくらい、少しは浮かれてもいいですよね。
移植がうまくいかなかったら、不妊治療を辞めてどんな苦しみが待っているのか、はたまた意外と平気で暮らしているかはわかりませんが、うれしく感じた時くらいは、幸せをかみしめたい。
落ち込んだらまた、その時に考えたらいいかな?
子供に恵まれなかったとしても、私の人生1度きりですものね。
嬉しい、幸せだと感じるときを大切にして、このまま進んでいこうかなあと思います。
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