おはぎです。
金曜日にLHサージを図ったので、昨日、排卵したのだと思います。
私の病院では、移植だけの周期の場合、LHサージ誘起はただの指標で、排卵したかどうかは確認しません。
今週は、凍結いただいている培養液を移植後、凍結胚盤胞移植と、シート法での移植方法を予定しています。
以前、子供がいない夫婦の割合について調べたことがありました。
それによると、婚姻期間15年を過ぎても子供がいない夫婦の割合は、6.2%と、データで発表されていました。
この中には子供を望まない夫婦も含まれるので、不妊治療後に子供を持たない(持てない)夫婦の確率はもっと低そうに思います。
私もこのまま子供に恵まれなかったら、確実にこの6.2%に入ります。
6年前のデータなので、今は少し違うかもしれませんが、6.2%に当てはまると言ったら、マイノリティ(少数派)と言ってもおかしくはないと思います。
私はずっと、このマイノリティに入ることがすごく怖かったんです。
これまで、比較的マジョリティ(多数派)の生き方をすることが多かったです。
これまでの人生を思い返しても、格別マイノリティを感じる要素はありませんでした。
それが理由なのか、これからマイノリティとして生きていくかも知れない、ということに、なぜだかものすごく恐怖心があるのです。
共感していてもらえない環境下になるということが、恐怖心なのでしょうか。
なぜなのでしょう。少し考えてみました。
まずは、自分の中にマイノリティがなかったか、確認してみました。
考えてみたら、意外と沢山ありました。
・自動二輪免許を持っている
・バイクで大きな事故を起こしたことがある
・裁判員候補になったことがある
・ランドセルを忘れて登校したことがある
女性で自動二輪免許を取得している確率は、自動車免許を保有している中で、1%の割合というデータがありました。
人肌に近い温いお風呂が好きとか、ぐずぐずの靴下が好きとか、どうでもいいことも多かったのですが、数え上げればきりがないほど出てきました。
私、これまでいろいろマイノリティで生きてきていたじゃない。
マイノリティというか、これはもう多様のうちの一つなのでしょうね。
バイクの免許に限っては、周りの人間が全員反対したのにも関わらず、取りたくて取ったものです。
共感が得られないから不安ということも、マイノリティが怖いという理由には、当てはまらないような気がします。
マイノリティの状況下であっても、気にしないで済む事柄については、マイノリティを感じないのかもしれません。
とすれば、子供を持てない人生を、さして気にしないのであれば、「マイノリティとして生きていく」なんて決意もせずに、ただの生活が続くだけとなります。
やっぱりまだ、子供を持てないということ、大きなしこりがあるんだな、ということがわかりました。
私にとっては、とても大きな障害ととらえているのでしょうね。
最後の融解胚移植で、うまくいかなかった場合、このしこりはいつ癒えるんでしょう。
不妊治療後の新たな修行が大事になってくるのかもしれません。
今はまだ、マイノリティとして生きていくことが怖いです。
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