不妊について思うこと

生まれなかった子供の年は数えない

おはぎです。

少し前ですが、朝起きてスマホの日付を見た時に、あっ!と思いました。

その日付は過去にお医者さんに言っていただいた出産予定日でした。

8週半ばで流産してしまったので、赤ちゃんの成長を出産予定日まで見守ることはできませんでした。

生まれなかった子供の年は数えない|不妊治療の終わりかた|おはぎの日記

あの時の子供が生まれていたら今何歳かな?と考えかけました。

しかし数えるのはやめておきました。

私は時々ですが、意識的にネガティブな思考についてそれ以上想像することをストップするようにしています。

生まれなかった子供の成長をあれこれ想像しても一つもいいことはないように思うからです。

瞬時に生まれなかった子供の年を計算できなくて、頭の回転が鈍くて良かったです。

もしも、生まれなかった子供の成長をあれこれ想像していたら、たぶんですが、

友人の子供と同じくらいかな?友人の子は小学生になってて、あれやこれやできるようになったな、

それならば私ももし産むことができたら、どれくらいの思い出ができたのか、どんな成長を見ることができたのか、

など、色々想像を張り巡らせた後に、胸が苦しくなっていると思います。

もしかすると、現状の不遇な自分とごちゃ混ぜにして、悲劇のヒロインになりきって1回位泣くかもしれません。

あの時の妊娠については、細胞分裂が止まってしまっただけで、まだ魂が宿る前だったと勝手に認識しているので、

けれども、悲しい出来事だったので、心のポケットに大事にしまい込んでいることでもあります。

赤ちゃんに魂が宿らないと思った話はこちらから

以前タラレバで想像しても仕方ないという話を書きましたが、この話も同様で、

もしも生まれていたら...と考え成長した年を計算することに意味があることでしょうか?

それを想像して暖かい心になれる方だったとしたらすごく意味があることだと思います。

また、まだまだ赤ちゃんとの別れを受け入れてなくて色々と思うことがある方は、沢山思い出して泣く必要のあることだと思います。

けれども、私は想像したところで暖かい気持ちにはなれませんし、現状ではさもしい心になるだけだと思います。

私の中では心の整理がすっかり済んでいます。

旦那は流産して以来その話題を出したことはありません。

記憶を掘り起こしてほしくないし、旦那は実はすっかり忘れていると思いますが、過去に妊娠した事実までは忘れていないと思うので、それでいいと思っています。

そして、私も一度でも旦那と少しだけ融合ができた「何か」があったことが、嬉しかった思い出として残っています。

もう、それだけでいいかな?なんて思ったりして。

意味のないことを考えて先に進むことができるならそうしたほうがいいと思いますが、

私の場合はそうじゃないみたいなので、今は今のことを沢山考えることに労力を費やして、

そういうことを考えるのは老後の余暇にとっておいてもいいかな?なんて思います。

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