おはぎです。
少し前、不妊になってしまうのはロシアンルーレットで当たってしまうようなもの、と書きましたが。
子供を授かれないまま不妊治療を終わりにした今、「どうして私なんだろう」と思わないわけではありません。
だって、私の周りで子供がいない友人は、独身か、DINKS(選択子無し)しかいません。
DINKS(選択子無し)の友人のうち一人は、仕事に熱中し、完全に子供を持つタイミングを失った同級生。
まあいっか、仕事が子供みたいなもんだし
と、30代半ばで開き直っていました。
ちなみにこの友人は、雑誌の副編集長をしていて、仕事に本当に命を懸けている感じ。
月刊誌なので、毎月発刊される雑誌が本当に彼女が産んだものなんだと感心しています。
もう一人も、独身時代から、子供を持たない宣言をしていたので、持ちたくて持てなかったタイプではなさそう。
周りを見渡しても、子供が欲しくて恵まれなかった、という友人は今のところいません。
子供が欲しくて恵まれなかったのは、友人の中では私だけ。
結婚して子供が欲しかった(と思われる)友人は、全員子供に恵まれています。
そう考えると、なんか私ちょっとかかわいそう、なんて思いそうにもなる時があります。
でもやっぱり、そういうことではないんですよね、たぶん。
子供を授かりたいと思った、すべての人が子供に恵まるわけではないことは、子供のころから知ってたし、歴史上でも良くあったことで。
歴史の中では養子を迎えたり、「三行半」を貰って離縁したり、ずっとそうやって歴史が続いてきたのは目にしていたこと。
現代の高度不妊医療ですら、100%の治療というのは不可能なので、どうしても授かれない人がいることは、まぎれのない事実です。
たまたま子供に恵まれない割合というものに、私が入ってしまった、ただそれだけのことなんだと思います。
子供に恵まれる人がいる一方で、どんなに切望しても、高度不妊治療しても授かることができない、私のような人がいること。
たまに、神さまって不平等かも、なんて思うこともありますが、それも何か違うかなあ?と。
そもそも人間て、実は平等に生まれてきてはないですよね。
生まれ持った体質や、頭脳、見た目、生まれた国、家庭環境など。
それだけでその後の人生が左右され、人生を決定づけたりすることが多いように思います。
不遇な状況で生まれた方が、永遠に恵まれないとも限りませんが、大きく飛躍しにくく生まれてしまう環境はあると思うのです。
そのうちの一つに「不妊症」もあり、子供を持ちにくい、もしくは、子供を持てない体質もあるのだろうなと。
生まれながらに平等の世界ではないのだから、あれこれ考えて不平を言っても仕方がない。
そう思うしかないのかもしれませんけど。
嘆くばかりでは生きていけないので、あとは、自分の人生をどう彩るか、なのですが。
それでも、まだまだ不妊のことについては、こうやって考えてしまうのですよね。
不妊の呪縛は、相当、根強いものなのかもしれません。