おはぎです。
8年の不妊治療の末子供を授からなかった私ですが、不妊治療を辞めてから段階的に気持ちが変化してきたことに気づきました。
中には不妊治療をして良かったと感じたこともあるなあと思い出しました。
結果が出ずに大枚を叩いて莫大な時間と労力を費やし授かれなかったのに、不妊治療を経験して良かったことなんてある?と思われる方もいるかもしれませんが、実はあるんです。
思えば不妊治療中から感じていたこともありました。
以前は怖くて仕方なかった子なしの人生を歩み始めて感じたこと、気づいたことをご紹介します。
自分の体と向き合うことができた
不妊治療をする上で無視できないのは、自分の体の状態を知ることだと思います。
不妊治療専門病院へ通うことで、子宮や卵巣の状態を常にチェックしていただくとその他色々な体の状態も気になりだします。
独身時代は一切体の事を気にかけていなかったわけではありませんが、年に一回会社の健康診断を受けたり、サプリメントを摂ったりするだけでした。
今は体のリズムを知って一般的な健康法を参考にしつつも、自分の体の特性をより意識するようになり、以前に比べるとしっかり向き合って過ごせているような気がします。
向き合ったからこそ見えてきた今があって、日々老いつつある私も受け入れながら過ごしたいと思うようになりました。
生命の奇跡を改めて感じる
おそらくこの記事を読んでいる方は生命の奇跡について良くご存じだと思います。
私は妊活を始めるまで、生命の奇跡についてぼんやりとしか知りませんでした。
だって、友人たちもお隣さんもみんな赤ちゃん産んでるから私も同様に、当たり前のように感じていた奇跡が起こって子供を産めるんだろうと、妊活始めた当初は思ってたんですよね。
でも現実はそうはいきませんでした。
だからこそ、今私がこうして過ごせていることも、奇跡の連続の中で生かされていると改めて感じました。
不妊治療中は良く見ていたyoutube。
自然妊娠の過程ですが受精するまでも本当に奇跡の連続なのだと改めて思った動画です。
こうやって私も生まれてきたのだと思うと、この世に受けた生に感謝の気持ちを持つとともに、人生を目いっぱい楽しまなくちゃと思います。
心のグラデーションと向き合って自分を受け入れる
不妊治療中は心がグラグラで、こんなにも自分の核のようなものが持てない状態になるのかと驚愕しました。
白黒はっきりさせたい性格というわけでもないのですが、やっぱり今後どうなるかわからない状況が長く続くととても不安定になります。
不安定な自分、どっちつかずの揺れる心を持つ自分、というものを良しとすることができたのも、不妊治療を経験したからでした。
心のグラデーションが濃い時、薄い時、どちらも私なのだということに気づかされた気がします。
今でも黒い感情が湧いてくる私もいるしまっすぐ前だけ向いている私もいます。
どちらも私で、どちらも私の人生。
自分の感情や置かれた状況に白黒つける必要もないのだと、心の落としどころがわかるようになったような気がします。
マイノリティーな立場となり目を向けたこと
日本で子供がいない夫婦はすべての夫婦の中では6%というデータがあります。
不妊治療を経て子供に恵まれなかった夫婦がどれくらいいるかはデータにありませんでしたが、その半数となると3%位となることでしょうか。
不妊治療をやめて子供に縁のない私は、とてもマイノリティな存在になってしまいました。
これまでは割とマジョリティ(多数派)で生きてきたことが多かった私は、子供がいない夫婦というマイノリティに属すことが怖くて仕方なかった部分もあったような気がします。
しかし、マイノリティになったからと言って、生活が変わるわけでもないし不幸になるわけでもないし、私たちにとっては夫婦二人が当たり前という生活が続いています。
そして、マイノリティ・マジョリティは世間一般的に言われている括りであって、全ての人間が違う色を持っているのだと、強く感じました。
同じように夫婦二人きりでも、選択的に子供を持たない方もいるし、何となく二人で暮らして結果的に二人だけという夫婦もいる。
お子さんがいる方も1人か2人かそれ以上か、また子育て環境や子育て方針もそれぞれに違い、全ての人間が同じ人生を歩むことはなくて、その方の人生はその方にしか生きられないのです。
子供がいない夫婦という括りだけで色々な背景があったりすることを痛感しました。
そんなことを思えば、もうマイノリティ等と騒ぐ必要もないような気がして。
子供がいる・いないに関わらず、当たり前の事なのですが、全ての人間が違う人生を歩み、さまざまなことを感じながら、多様な価値観を持って過ごしているのだと。
マイノリティ・マジョリティと、世間一般的な括りを通して色メガネで見ているのは私の方だったのではないのかと、改めて思い直しました。
マイノリティであってもなくても個は尊くて重みがあって、どんな人生を進んでいようと、文字通り尊重されるべきなのだと、今こうなってみてつくづく思います。
まとめ
不妊治療を経て子供に恵まれなかったことでマイノリティになった私が気づいたこと、わかったこと、いかがだったでしょうか。
人生を、どうやって生きればいいのかについて正解などないと思うので、子供を持てずに時々つまずいたり嘆きながらこうやって生きる私も正解で、でもやっぱりせっかく「生」を受けたなら、今の環境の中で自分で納得して進んでいきたいと思う私がいて、もしかすると私はずっとこうやって足掻いていくのかなあ?なんて思うこの頃です。
どんなに足掻いたって、今の私は正解だと思えたらそれでいい気がします。
書籍化しました!良かったら読んでください。