おはぎです。
私、周りからよく言われることがあります。
おはぎさんていつも楽しそうね。
確かに私の場合、普段から日常に変化を取り入れたりして、その変化を楽しむこと、多いのかもしれません。
火曜日はパート帰りに、電車を使わずに歩いて帰ってみたり、金曜日はシェアサイクルを借りて帰ってみたり。
少しだけ新しい事にチャレンジしてみたりして、自分を楽しませています。
社会人になり、学校の行事ごとなどがなくなり、落ち着いた生活になったころに気づいたんです。
学生時代までは、親や世間が、子供を喜ばせる仕組みができていた、ということに。
大人になって、「何かいいことないかなあ?」なんて思っても、自分から見つけに行かなければ、「いいこと」は勝手にはやってこないことが多いということ。
なので誰かが、「何かいいこと起きないかなあ?」と言った際に、つい言ってしまいます。
幸せは自分から見つけに行かなきゃ勝手にはやってこないよ
もちろん、人生って不思議なものなので、自分から働きかけなくたって、意図せずラッキーなことが起こったりもします。
でも、ただただ待ってるだけでは、いいことなんて、滅多に起こらないことのほうが多い気がします。
いつも楽しそうに見える私だって、子供に恵まれなかったことに、心が苦しくて仕方ない日もあります。
どうして私には叶わなかったのだろう、どうして私が不妊という貧乏くじを引いてしまったんだろう。
子供に恵まれている人が羨ましくて、心が締め付けられて、何とも言い難い気持ちになることも。
でも、嘆いたところで子供はやってこないし、暗い沼に向かっているだけでは幸せにはなれません。
子供によってもたらされたはずの沢山の幸せは、私には感じることができないんだから、自分で自分を楽しませてあげるしかない。
だからなおさら、幸せを得るための働きかけをしていかなきゃいけないなあと、思うんです。
私の人生なんて地位も名誉も才能もなく、平凡で退屈な人生かも知れません。
その上子供にも恵まれないとなると、見る人から見たら、目も当てられないほどの「不幸な人生」なのかもしれません。
でも「可哀そうな私」という悲劇を演じる人生にしたくない。
いつだって未来の自分に期待して生きていたいと思うんです。
日常の中の小さな発見を大切にして、沢山の彩りを増やすことには余念がありません。
「いつも楽しそう」じゃなくて、自分を楽しませようと必死に頑張ってるんだよ。
毎日楽しいことを見つけに行ってるんだよ。
見つけた幸せは抱えられるだけ、全部持って帰るよ。
死ぬまでにどれくらいの幸せを見つけられるのか、命がどこまで輝けるのか。
今後の生きるテーマになるかもしれません。