おはぎです。
昨日は初詣に行きがてがら、旦那とずっと猫の話をしていました。
給水機や、成長後のトイレのタイプ、そして肝心の猫の名前。
旦那は、子供のころに猫を飼ったことがあるとはいえ、遠い昔の話です。
かたや私は、猫に限らず、ペットを迎えることが初めてなんです。
猫飼い初心者の私たちが、あれこれ考えてみても、何ひとつ決まりませんでした。
お迎え直後の餌や、トイレのタイプなどは、細かく銘柄も指定されていて、迷うことなく購入することが決まっています。
向かい入れる猫にとって、新しい環境に移るストレスを最小限とするため、ブリーダーさんが使用しているものと同じものを購入するだけです。
それでも、同じものを揃えられない、動物病院やペットシッター探しなど、数え上げたらきりがないくらい心配事項が次々と浮かんできます。
私はたぶん、ものすごく楽天家なんですが、それでも子猫を迎えること、不安に思うことが沢山あります。
もしも、迎えるのが猫でなくて人間の子供だったら?
子猫と人間の子供を、同列に考えているわけではありませんが。
私の場合、過去8年間不妊治療した中で、子供を迎えることが現実的に感じられる時は来ませんでした。
2回の流産はどちらも初期流産だったので、出産後までをリアルにイメージする時期を迎えたことがなくて。
不妊治療中は、沢山のハードルがあまりにも多すぎて、妊娠しても、そのハードルを一つ一つ超えることがとても難しくて。
結果的に、妊娠9週の壁を1度も超えることなく、不妊治療を終えることとなりました。
もしも私が、9週の壁を越え出産をイメージして、赤ちゃんが来ることをリアルに感じられていたら。
それは、やっぱり猫とは比にならないくらい、不安で心配だったんだろうなあと思います。
そういう経験を乗り越えて、出産されて子育てされている世のお母さんは、やっぱりすごいんだろうなあと思います。
だって、子猫だけで、てんやわんやのわが家です。
そう考えると、女性として生まれてきて結婚もしてるのに、子育てできなかった私の経験値を思うと、やっぱり稚拙な部分はあるのかな?何かが欠如してたりするんじゃないのかな?なんて思ったりもして。
子供を産めなかったこと、子供を育てていないことを、とても劣等感に感じてしまったりして。
猫を向かい入れることで、自分が親になるような感覚になってしまって、授からずに終わった不妊時代に思いをはせてしまいました。
なんだか不思議な感覚で、ものすごく浮かれて楽しみな気分となった反面、ちょっと落ち込んでしまったりして。
子供を持てなかった気持ち、黒い渦とならないように、大事に昇華させたいと思いますが、時にはこうやって浮上してくるのだなと。
ものすごく浮かれている状況なのにも関わらず、隙間にふっと入ってくることもあるんだな、と。
ある意味、不妊治療は終わりにしたものの、私の中ではまだ進行形のものなのだと、とものすごく痛感してしまいました。
こうやって、リバウンドみたいな感じで遅れて落ち込むこともあるんですね。
でも、これから新しい家族が増えて、その新しい家族(猫)にはものすごいチカラがあると、聞いています。
実際ブリーダーさんのお宅へ行った際にも、リビングに設けられたゲージにいる別の種類の猫ちゃんたちを見て、猫がいる素晴らしく幸せな生活を垣間見ることができました。
私のこんなぐちゃぐちゃの気持ちも、猫との生活が始まれば、意外とオールオッケーとなるんじゃないのかな、なんて思ったりもして。
そういうところは、すごい楽天家の発想かもしれませんけれどね。
気持ちを強く持って、前に進みたいものです。