おはぎです。
このブログも2年目となり、記事数も350以上となってきました。
前はどんなこと書いてたんだろう?と、1年くらい前の記事を見たら、不妊治療中にもかかわらず、不妊治療を辞めた今と同じようなことを考えていたようで、少しだけ可笑しくなりました。
あの頃から、いや、もっとずっと前から、不妊治療のその後のことを考えて、治療してたんだなあ、なんて。
不妊治療の終わりを見据えていても、実際終わってみないとどんな気持ちになるかはわからないものですが、当時からだいたい予測できていたんですね。
今、1年前の不妊治療中の私に言いたいことを想像してみたのですが、特に何もありませんでした。
そのまま進んでいくしかないね、ってことくらいでしょうか。
1年前の私が大きく間違っていたりしないからだと思います。
子供を持とうと決心して、不妊治療を始める方がほとんどだと思いますが、不妊治療の終わりに子供を授かれているかどうかは、終わってみないとわかりません。
過去に『子供がいない夫婦の割合』を調べたことがありましたが、その割合は約6%。
子供を授からないままに、不妊治療を終えた夫婦の割合まではわかりませんでしたが、SNSなどで探してみると、私と同じような境遇の方が、たくさんいらっしゃって。
不妊治療を始めるとき、最悪の状況を想定してチャレンジする方は少ないと思いますが、そういう終わりかたをする人が一定数いることは、まぎれのない事実です。
それでは、不妊治療を始めたばかりの8年前の私に、何か言えることがあるならと、想像してみたのですが。
やっぱり何もないんですよね。
険しい道でくじけることもあるけれど、子供がいないなりに日々はそれなりに楽しいし、絶望の淵に進むわけじゃないよ、くらいの励ましでしょうか。
不妊治療をしたこと自体に後悔はないし、8年の不妊治療期間も私の人生の一部となり、残念な結果を迎えたものの、以前に比べて不幸になったわけではありません。
最近、良く思うことがあって。
ある意味、私は挫折を味わったんだなあ、と。
オリンピック選手を目指したけど叶わなかった、司法試験合格を夢見て努力したけれども叶わなかった、そんな感じで。
お母さんになることを夢見たけれども叶わなかった、そういうことなのかな?と。
なりたい自分を目指して努力することは、結果に結びつかなくても、私の中では正解だったのだろうなあと。
お母さんになることを目指さないという選択肢はなかったし、なるべくしてなった結果ではあるものの、やってきたことに間違いはなかったかなあ、なんて。
思いつく限りの努力をして、ちゃんと走り抜けられた自分を、もう少し慈しんだほうがいいかな、なんて。
もしかすると、少しずつ、色々な気持ちが昇華しつつあるのかもしれません。