おはぎです。
昨日はパート終わりの帰宅途中、信号待ちをしているときに、ふと視界に違和感を感じたので下を見ると、交尾中の虫が2匹服にに引っ付いてました。
慌てて払いましたが、あの虫たち、いつからくっつけて歩いてたんだろう...。恥ずかしい。
お願いだから私のワンピースで交尾しないでください。
移植は来週に決定しましたが、今回は久しぶりの2段階移植です。
凍結初期胚と、凍結胚盤胞を別日に移植します。
凍結初期胚は採卵日には未成熟卵だったため、追加培養して頂きました。
凍結胚盤胞があともう1つありますが、3個移植しても結果は同じだと思うのですが病院から断られたので、今週期の移植は2個となりました。
先日の記事のコメントへ「不妊治療は私たちのエゴで始めたことだから、最後は自分の気持ちに折り合いをきっちりつけたい」とお返ししました。
自分でコメントし、後から気づきましたが。
子供を持ちたいという気持ちなんてエゴの塊ですよね。
もちろん、本能に基づいてそういう気持ちになるのだとは思いますが。
授かってから結婚とか、新婚なのに予想外に授かっちゃったとかでなく、妊娠を目的として何か働きかけているのであればその時点でかなりエゴイストとなっているのだと私は思います。
別にそれが悪いことだとは思いませんし、人間なんてエゴだけで生きているといってもいいんじゃないかと思ってるくらいです。
自分のエゴで子供を持ちたいと思って働きかけてしまうから、結果うまくいかない場合は気持ちの折り合いがつかなくなると思うのですよね。
そう思う気持ちは、もう仕方ない気がします。
期待して働きかけた場合、それ相応の見返りが欲しいって感情は人間の本能に刻まれているんじゃないのでしょうか?
不妊治療の場合、沢山の労力と時間を費やしても見返りがゼロということもある。だからなおさら苦しくなるんですけど。
なので、不妊治療なんて結果がどっちに転んだとしても、長い人生で考えればただの通過点だし、自分の人生を生きることも大事。
旦那や旦那の家族と、つながることができた喜びや楽しみを忘れてはいけないとなおさら思います。
一度始めてしまったことはすべて終わりが必ず来るものなので、結果が望まない方向だったとしても、自分の気持ちに折り合いをつけなきゃいけない時がいつか来てしまいます。
けれど、不妊治療の進め方や終わりかたなんて、どこにも正解はないと思います。
最後に願いや希望、まとまった気持ちがお腹にストーンと納まるのであれば何でもいいんじゃないのかなあ?
ジタバタしたり、足掻きまくったり、原点回帰したり、ダークサイドに落ちてみたり、復活してみたり。
不妊治療なんて「させられている」わけではないので、あまり追い詰めずに、自分の気持ちにちゃんと向き合って、人間臭くやったり、時には休んだり、自分のペースで好きにすればいいんじゃないの?と個人的には思います。